時間の魔術師が魅せる知性派エンターテインメント「インセプション」(2010)

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初めて見たクリストファー・ノーラン監督作品は、傑作と名高い『メメント』(2000)でした。その特異な時系列やミステリの手法にはしびれたものです。
しかしそれ以上に心を奪われた作品が2010年公開、レオナルド・ディカプリオ主演の「インセプション」でした。

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『メメント』「インセプション」2作品の共通点と大きな違い

愛する女性を失った男の「喪失感」がわかりやすい「動機」へ

2作品とも妻を亡くした男が主人公という大きな共通点があります。
さらにいずれも複雑なタイムラインが特徴的で主人公の置かれる過酷な極限状態は、ともすれば観客が置き去りにされかねない構成になっています。
ですが「最愛のパートナーを失った」というプロットは非常に感情移入しやすい。妻を深く愛していた、あるいは死後も愛しすぎているがゆえに、自身の人生を大きくゆがめているという、主人公の執着や狂気を正当化しやすい最強のスパイスとしても機能します。そのため気が付けば主人公目線でしっかりと物語にのめりこんでいくのです。

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「子ども」という新たな動機

『メメント』では復習に燃える破滅的な主人公の姿と、10分しか記憶が続かない「非現実的な現実」が描かれていました。
一方「インセプション」は「現実的な非現実」を映像化した作品。加えて主人公には、離れて暮らす「子ども」というさらなる動機があり、問題を克服しようと前向きに戦っています。
その真逆な世界観は甲乙つけがたい魅力ですが、主人公たちが目指す方向性の違いにおいて、後者の方が個人的に刺さりました。
子どもの登場は、監督自身のライフステージの変化が関係しているようですね。

不可解なのに没頭できる怒涛のストーリー展開

前置きが長くなりましたが、改めて映画「インセプション」の魅力についてお話させてください。
まずはお話の内容について少々お時間をいただきます。

予測不能な時空間

物語はレオナルド・ディカプリオ演じる主人公のコブが、波打ち際で意識不明で倒れているところから始まります。
そこへ傭兵のような男たちが現れ、彼を日本の城のような建物へ連行。待ち受けていたのは、我らが渡辺謙が特殊メイクで扮する「老人」でした。
その老人はコブが持っていたコマを見て、「見覚えがある…遠い昔、夢の中で見た男だ」と呟きます。

ここで場面は一転。
高級感のある和室で、コブと相棒のアーサーは日本の有力実業家サイトー(渡辺謙)と対峙しています。冒頭と変わらない年恰好のコブに対して、老人だったサイト―がここでは若い姿です。
この時系列の複雑さこそがクリストファー・ノーラン作品!どんな展開になるのか、視聴者は一気に引き込まれるはずです。

近未来の産業スパイやばすぎ

コブは仲間のアーサーと共に、他人の潜在意識から情報を抜き取る「エクストラクション」を行う産業スパイでした。
その手法は対象者の夢に入り込み、巧みに夢を操作して機密情報を聞き出す(見つけ出す)というものです。実際にあったとしたら、なんとまあ恐ろしすぎる手口。

そんな技術が生まれれば、その対策も同時発生するのは至極当然のこと。
あらゆる要人たちは無意識化(夢の中)で他者の介入を感知すると、なんらかの武装攻撃によって敵を排除するよう、訓練を受けています。
実はサイト―はコブ達がエクストラクションをする対象者でした。しかし彼もこの訓練を受けていたため、任務は失敗に終わります。
ところが彼らの腕を買ったサイト―から、逆に新たなオファーを受けることに。
それはライバル会社の跡取り息子ロバートの頭の中に「会社を解体する」というアイデアを植え付ける「インセプション」の任務でした。
それはまだ成功例のない、非常にやっかいなミッションです。

不可能命題に挑むのは

コブは妻のモルを殺した容疑をかけられた国際指名手配犯でした。そのため幼い子供たちとも会えない日々を送っています。
そんな彼にサイトーは「成功すれば犯罪歴を消し、再びアメリカの我が家へ帰れるようにする」という条件を提示。コブは依頼を引き受けます。

彼は任務のために優秀な人材を集めることに。その一環で、大学の恩師であり亡き妻モルの父親でもあるマイルス教授を訪ねます。そこで紹介されたのが「夢の設計士」となりうる女学生アリアドネ。
夢の設計を教示するため、コブと彼女はともにコブの夢に入ります。しかし彼女はそこで見た、コブの強烈な潜在意識であるモルの存在に危険を感じ、ミッションの参加を一度は断ります。それでも夢の中で世界を自在に操れる魅力には抗えず、仲間の一員となることに。
この映画の象徴的な場面として知られる、アリアドネが創造した町が折りたたまれる映像は、シュールな美しさが実に圧巻でしたね。
同じくクリストファー・ノーラン作品の『インターステラー』(2014)に見る4次元超空間も、これを踏襲したであろう優美な映像です。

夢でコブの邪魔をするのは愛する妻

アイデアを深く定着させるため、チームはロバートの「夢の中の夢、さらにその中の夢」という3段階の階層構造へ潜り込んでいきます。
しかしその潜在意識は案の定、スパイの侵入に備えて防衛訓練を受けていました。
そのためチームは、彼の夢の中で武装集団による予期せぬ激しい襲撃に遭うことになります。
さらに強力な鎮静剤を使っているため、「夢の中で死ぬと、脳が廃人になる危険な虚無の世界(リンボ)に落ちる」という過酷なルールが突きつけられます。
何よりの障害となったのは、コブ自身の罪悪感が生み出した亡き妻モルの幻影でした。モルの邪魔によって作戦は何度も崩壊の危機に瀕し、チームは夢の第1階層(激しい雨の街)、第2階層(ホテルの無重力空間)、第3階層(雪山の要塞)と、時間軸が異なる各世界で命がけの戦いを繰り広げることに。

世界観構築に不可欠なルールと製作者の仕掛け

とにかく複雑ではありますが、実に緻密に練られたルールや伏線、制作者の工夫は知るほどにうならされます。

アイコンでもあるトーテム

他人の夢に潜入する設計士は、ターゲットに偽物だと気づかれないよう精巧に現実世界を模倣して夢のステージを作ります。そのため自分が今「現実」にいるのか、それとも「誰かが作った精巧な夢のステージ」に閉じ込められているのかが分からなくなる危険があります。

それを防ぐのがトーテムです。
トーテムは「自分だけが知っている特殊な重さ・重心・仕掛け・質感」を持たせたもの。もし他人の夢の中にいる場合、その夢の設計士(他人の脳)はそのトーテムの「正確な重さや隠された仕掛け」まで再現することはできません。
そのため自分のトーテムに触れた時、「いつもと重さが違う」「重心がおかしい」と感じたら、そこが他人の夢の中だと見破ることができるというものです。
コブのトーテムは冒頭でサイト―が見たコマ、アーサーは細工したサイコロ、アリアドネは底を削ったチェスの駒といった具合です。

夢を抜け出すためのキック 

夢の世界から目覚める(1つ上の階層へ戻る)ためのアクションを「キック(Kick)」と呼びます。
眠っている人間の平衡感覚(内耳・三半規管)に急激な変化を与えることで、脳は強制的に覚醒させられるため、具体的には椅子を後ろに倒す、車ごと橋から落とす、など「落下感」を与えるというものです。

夢の中で「死ぬ」ことも有効ですが、これにはリスクがあります。それは実際に視聴して確認ください。アニメ『鬼滅の刃』でも、夢から抜け出すために自殺するシーンがありましたが、同じ仕組みといえますね。
また夢の中では時間がどんどん遅くなるため、現実世界で流した音楽が夢の中でスローテンポとなることで、「実際の時間」の逆算やキックの合図として用いられています。

夢の階層ごとに速度が変わる「音楽」の仕掛け

夢の世界から目覚める合図(キックの合図)として使われていたのは、フランスの歌手エディット・ピアフの名曲『水に流して(Non, je ne regrette rien)』。
映画のクライマックス第3階層(雪山の要塞)では、重低音の効いた迫力のある音が流れていますが、実はこれも『水に流して』の最初の2〜3音のブラス(金管楽器)の音を、数倍〜数十倍にスロー再生したものでした。
「上の階層で流れている目覚まし時計の音楽」が、深層にいるコブたちの耳にスローモーションで届いている音なのです。

私自身は映画を見ている際にそのことに全く気付きませんでしたが。
観客がコブたちと一緒に夢の奥深くへと没入させられるという、実に見事な仕掛けです。

妻モルと作り上げた世界

もともとともに夢の研究をしていたコブとモル夫妻。
かつて夢の実験中により最も深い階層である「虚無(リンボ)」に落ちたことがありました。
コブとモルは、現実ではわずかな時間にもかかわらず、そこで約50年の歳月を二人きりで過ごすことになります。
共有夢の設計スキルを持つ二人は、何もなかったその空間に自分たちの記憶や理想を詰め込んだ巨大な街や砂の城を築き上げました。それは文字通り夢のような世界。彼らは神となってその世界を創造し、長い長い時を過ごしたのです。
しかしそれは彼女の精神に計り知れない影響を与えることになりました。

この世界の映像も実に美しいものですが、そこから徐々に明かされるモルの死の謎、トーテムに隠されたメッセージ。そして冒頭のサイト―への伏線回収にもなっていくのがまた見どころです。

徹底したCG嫌いだから生み出せた仮想世界

 監督はCGがお嫌い?

クリストファー・ノーラン監督といえば、「CG嫌い」として有名です。
しかし実際には単なる好き嫌いではなく、「実写とCGのクオリティを完璧に見分ける」目が肥えすぎているため「安易なCG依存」や「アニメーションのようなCG」が我慢ならないということだそうです。

ですから自身の作品では極力実写の撮影にこだわる(そのため製作費もものすごいことに)ものの、必要に応じて高度なCG(VFX)を駆使していらっしゃいます。
ただし違和感を生じさせないために、演者が「何もない空間」で演技することのないよう配慮をするなど、技術面以外の工夫も惜しまないそうです。
その職人気質が生み出す映像美だからこそ、他のSF作品と一線を画しているのでしょう。

最新作『オデュッセイア』もすさまじい映像美

今年9月に公開された『オデュッセイア』は、全編IMAX撮影(高解像度のカメラにより横長の大画面で撮影され、急勾配のスタジアム席の特設シアターで上映)されたことでも話題になりました。
イギリス・モロッコ・イタリア各地で撮影され、推定製作費は2億5,000万ドルとされる大作です。
公開直後、私もIMAX上映で視聴してきました。IMAX自体初めてだったので、その迫力にまず驚きました。
加えて3時間の長尺でも観客を飽きさせる暇のないストーリー展開、その上で古代の世界観や戦闘シーンの映像センスはさすがです。ただ私は個人的に戦闘が好きではないので、その迫力が少々辛いくらいでしたが。とはいえ随所に織り込まれる、異形のモノたちのCGは好きっ。

トランスジェンダー俳優の出演も

「インターステラー」にてアリアドネ役のエレン・ペイジは、2020年にトランスジェンダーを公表し男優エリオット・ペイジに改名しました。
最新作の『オデュッセイア』では、キーパーソンの男性兵士として出演を果たしています。
それを踏まえて作品を見ると、また違った観点が得られるかもしれません。
ちなみにネットフリックス人気ドラマ『アンブレラ・アカデミー』でも、エリオットは主要女性キャストの一人ですが。物語の中でも最終シーズン、突如としてトランスジェンダー男性となり視聴していた私は驚きました。その後、役者ご本人がカムアウトしたことを知って納得しましたが。
こちらも製作者サイドで彼の意向を尊重して、役柄に反映させたようですね。

監督の魂と役者のあり方。ドラマや映画を見る際に、こちらも注目していきたいところです。

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