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19年後にまさかの続編!?「ミスター・ガラス」(2019)

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ご紹介したい映画「ミスター・ガラス」ですが、『アンブレイカブル』(2000年)・『スプリット』(2017年)を見ないと一切理解できない3部作の完結編という位置づけの作品になります。
ぶっちゃけ評判も芳しくなく、ラストも私的にあまり刺さらなかった作品です。しかし『アンブレイカブル』は非常に好きな作品でしたし、2022年に失語症を理由に引退を表明したブルース・ウィリスのほぼ最後となる雄姿に敬意をこめてご紹介させていただきます。
というわけでまずは先の2作品と、監督であるM・ナイト・シャマラン氏の代表作からお話からさせてください。

オカルト映画の名作『シックス・センス』(1999)

M・ナイト・シャマラン監督と言えば、1999年公開映画『シックス・センス』で名を馳せたお方です。実際にこの作品が代表作にして、最高傑作ともいえるでしょう。ご覧になられた方も多いはずです。

「この映画にはある秘密があります」の前置きが話題となりましたね。
20歳そこそこだった私は無粋にも、「秘密を暴いてやる」と勇みこんで映画館へと足を運びました。そしてうがった目で見た結果、本来の作品の魅力を勝手に半減させてしまったのが悔やまれます。

「ボクには、死んだ人が見えるんだ……」繊細な少年コールを演じる幼いオスメント君のそれは可憐な演技。彼のカウンセリングとなった小児精神科医マルコム役は、寂し気な中年男をやらせたら右に出る者のいないブルース・ウィリス
不気味な現象の演出、お化けたちの登場センス。何よりも張り巡らされた伏線とその回収の見事さに、後日ビデオで見返し改めて舌を巻きました。
ダウンタウンの松本人志さんが「秘密がある、と言ったのがこの映画の失敗だった」とおっしゃっていたのに、激しく同意でございます。

次作『アンブレイカブル』(2000年)がはまる

そんなわけでシャマラン監督作品に興味をもち、曇りメガネを外して視聴した次作『アンブレイカブル』は素直にハマりました。

もしも自分が超人(ヒーロー)だと知らずに生きていたら?

監督と再タッグを組んだブルース・ウィリスが演じるのは、学生時代は花形のフットボール選手でありながら、プロになり損ねた警備員デヴィッド
彼は乗員・乗客全員が死亡する悲惨な列車事故に巻き込まれますが、そこからただ一人「無傷」で生還します。周囲からは奇異な目で見られ、本人もサバイバーズ・ギルトさながなぜ自分だけ助かったのかと疑問に感じていました。

そこへ「今までの人生で病気にかかった日数が何日あるか?」という謎のメッセージが届くようになります。送り主はアメコミコレクターのイライジャ(サミュエル・L・ジャクソン)
生まれつき骨形成不全症という難病を患う彼は、些細なことでも何十回も骨折を繰り返してきました。高い知能を持ちながら脆い体に苦しめられてきた彼は、やがて「自分と対極にある超人的な人間」の存在を確信するようになります。そしてそれこそがデヴィッドだと告げるのです。

始めこそ相手にしていなかったデヴィッドですが、次第に自身が決して壊れない(アンブレイカブルな)肉体であることを受け入れていきます。さらに悪意をもった人間を感知できる能力にも目覚め、人知れずヒーロー活動を始めることになります。

ヒーローものとしては地味ながら「新たなヒーロー象」を喚起

デヴィッドは確かに不死身ですし、悪人を見分けることもできます。しかしいってしまえばそれだけです。体が浮くわけでもなければ、目から光線を出すわけでもありません。
悪人退治はあくまでも肉弾戦。ケガこそしませんが、相手を瞬殺するような技はなく愚直に体を張るだけです。画的には地味というか、ヒーロー?という感じです。
しかし私はもともと『スーパーマン』のようなザ・超人より、『デアデビル』のように超能力ではなく、努力で鍛え上げて超人的な肉体を身に付けたヒーローが好きです。アンサング・ヒーロー(歌わないヒーロー、和訳は「縁の下の力持ち」)的な存在も好きです。ですからデヴィトのようなキャラクターに惹かれるのでしょう。
そして何よりヒーローがただ唯一絶対善ではなく、イライジャのような対極の存在があって成り立つという根底にうならされたのです。

同じ概念はほかでも

後年出会った池上永一氏の小説『黙示録』でも似た解釈が描かれていました。
物語の軸となるのは、光り輝く王となる「てぃだ(太陽)しろと、世の地獄や悲しみを一身に背負う陰の役割「つき(月)しろ。もともと沖縄文化に根差した世界観です。
この世にとなるヒーローがあるとすれば、対局にあるのは単純なヴィラン(悪者)ではなく負の要素を代わりに引き受けるの存在というのは実に哲学的です。

19年後にまさかの続編、しかも三部作!?

個人的にシャマラン作品は食傷気味に

その後シャマラン監督作品を追ってはいたのですが、正直よかったのは3作目『サイン』(2002)まで。ちなみにこちらも哲学的な背景が好みでした。しかし以降は刺さるものがなく、『ハプニング』(2008)の全体的なモヤっと感でもう無理~と離脱。その後は新作が出ても関心はありませんでした。
ところが19年の月日を経て、『アンブレイカブル』イライジャの通称である「ミスター・ガラス」がタイトルの作品が公開されたではありませんか。ポスターも間違いなくサミュエルです。

しかし三部作とうたわれているので首をひねります。あれ?二作目どこにあった?
そこで慌てて2作目とされる『スプリット』(2016年)を視聴することになりました。

まるで『24人のビリー・ミリガン』映像化な『スプリット』

クラスで浮いた存在である女子高生ケイシーは、お情けで呼ばれたパーティの帰り道、別の少女二人と共に誘拐されてしまいます
監禁場所は普通の居住空間ながら、ホラーにおあつらえ向きな窓のない地下室です。さらに姿を現した誘拐犯ケビンは、顔を合わせるたびに話し方や雰囲気が変わり彼女たちを怯えさせます。
ケイシーは彼が解離性同一性障害(多重人格)であることを見抜き、話しやすそうな人格を利用し脱出を試みます。

ケビンの中で主となる人格人格たちの関係性人格の交代が行われる「スポット」の存在。彼の特性を知るカウンセラーの、人格の見抜き方や接し方
多重人格者として初めて無罪となった実在の連続レイプ犯に関する手記『24人のビリー・ミリガン』を踏襲したような犯人像(人格も23+幻のビースト)でした。ちなみに私は高校生時分に読んで「多重人格は本当にあるんだ」と衝撃を受けた一人です。

人物構成はおもしろいしジェームズ・マカヴォイの人格演じ分けは圧巻。ただ私はグロイ犯罪モノが苦手なので、後半ちょっときつかったのが本音です。
それにしても多重人格の犯罪者、って全然関係ないじゃん?と思っていると、最後にちらとデヴィットとの関連を匂わせる手法でした。なるほどね。実際映画の公開時点で『アンブレイカブル』の続編(同じ世界観)であることは敢えて伏せていたようです。気が付かなかったわけだ。

「ミスター・ガラス」は監督の悲願作品

ところで昨今過去のヒット作にあやかろうと、数十年前の続編映画が増えています。しかし大抵は前作の蛇足感満載です。それでもネームバリューで集客できますし、過去作のファン層を取り込める安全パイなのは確かでしょう。商業的には致し方ない。
しかし「ミスター・ガラス」はそういった意図ではなく、シャマラン監督の中で『アンブレイカブル』製作時から構想としてあったもののようです。『スプリット』のケビンも、もともと『アンブレイカブル』に登場予定が諸事情で削られた、思い入れのあるキャラクターだったそうです。
デヴィッドVS.ケビンを描くために、まずはケビン主演の2作目が必要だったわけですね。納得。

19年前の蔵出し映像も盛り込まれた続編

映画「ミスター・ガラス」は、『スプリット』直後の世界(時間)軸になっています。
そこへ「解き放たれたビーストであるケビン」「長年街を守るヒーローとして活動してきたデヴィッド」が交互に映し出されます。

前作から引き続きとなるケビンと違い、デヴィッドは不死身ながら年老いているのがリアルです。不老ではないのね。
何より前作では5歳だった一人息子ジョセフが、大人になって(しかも子役と同じ俳優)父親の活動を手助けしているのがいい。
『アンブレイカブル』では、父親が特別なのでは?と気が付き始めた小さいジョセフに対して。デヴィッドはひそかに人前では手加減していたベンチプレスで、とんでもない重さを持ち上げてみせました。
そんな父親を見てフリーズしていた愛らしい姿と重ねると、成長した彼が父親の片腕となっているのがなんとも感慨深い。しかも前作の未公開映像(実際に若いデヴィッドと幼いジョセフ)を回想に入れ込むという、粋なファンサービスも見逃せません。

ついに3人がそろう

身元は隠しながら「監視人(ザ・シーカー / The Overseer)」の通り名でパトロールを行うデヴィッドは、ケビン(の中にいる凶暴な人格「ビースト」)が女子高生たちを拉致して監禁していることを突き止めます。ところがその救出に際し、ケビンもろとも謎の組織に拿捕されてしまうデヴィッド。
彼らは「自分を超人だと思い込んでいる」患者として精神病院に運ばれました。そこには「ミスター・ガラス」ことイライジャも患者として収容されていたのです。

華やかな「ヒーロー」作品へのアンチテーゼ

先の2作品を見なければ、いろんなことがネタバレとなってしまうため詳しく内容は語れませんが。
イライジャはデヴィッドが自身と対極の存在というだけではなく、光と闇の超人としてデヴィッドと対をなす存在ケビンを長年(19年も)待ち望んでいました。
しかし超人を望まない人々もいるのです。

この3部作は「もしも現実に超人(ヒーロー・ヴィラン)がいたら」という目線で製作された物語です。ここに描かれるのは「異端となる存在」の在り方です。
私としては正直「この終わり方かあ」と疲弊したラストなのですが。最後にイライジャの母が告げる「これは、始まりの物語(オリジン・ストーリー)だったのよ」という意味深長な言葉に、監督の魂を感じました。

痛快なヒーローアクションは無論映画の醍醐味ですが、時には別の見方も楽しんでみてはいかがでしょう。

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